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読書感想文の教育効果

 8月も半分が過ぎ、子供たちの夏休みもあと2週間ほど。宿題は、
順調に片づけているのでしょうか? www

 夏休みの宿題の定番が、読書感想文。この時期、書店には多くの
課題図書が山積みされています。それらの本の中から、自分の学年に
応じて読むようにすれば、何を読もうかなってあまり悩まなくてもすみ
ますね。

 夏休みなどの長期休暇を利用して、読書をするってのは大賛成。
分厚い本も、夏休みを利用したら読破することが可能。読み応えの
ある本を読破した時の充実感って、実際に味わわないと分からない
ものです。そんな実りある読書体験を重ねれば、読書の楽しさも
わかるはず。

 ただ、ひと夏をかけて読み通す良書って何があるかって聞かれる
と、それは考え方が人それぞれ。ズバリ、これ! って断言できない
のは難しいところですね。

 また、夏休みを利用しての読書には賛成ですが、その感想を書か
せるってのは、あまり意味のある宿題じゃないんじゃないかって
思っています。

 よく間違う子がいるのですが、読書感想文はあくまで本を読んだ
「感想」を書くものであって、「あらすじ」を書くものじゃありません。
コンパクトにあらすじを書くこと自体は悪くありませんが、自分なりの
感想をしっかりまとめてこその感想文です。

 ところが、端的に感想だけをシンプルに書き記しても、読み手の
側でその本を読んでいなければ、何のことやらチンプンカンプンって
こともあるのです。
 漱石などのように有名な人物の、有名な作品なら、教師の側で読んだ
ことある作品も多いかも知れませんが、それでもいわゆる名作と呼ばれる
作品を、全て読んだって教師は少ないはず。まして、あまり有名でない
作家、有名でない作品ならなおさら。

 そこで、「課題図書」なるものが設定されているわけですが、たいてい
の場合、読書感想文の題材は自由に選んでいいってことになっている
みたいですし、そもそも課題図書にしたって教師側で全て目を通している
ってわけではないでしょう。

 教師も読んだことのない本の感想を、制限字数いっぱいに語ったって、
はたしてそれがどういう教育効果を生むのか。さらには、無難な感想を
まとめた感想文を表彰することに、どんな意味があるのか。どんな感想を
抱くかなんて、思想・信条の自由。そんなものに優劣なんてつけようが
ないと思うんですがね。。。

 そういえば、小学校時代。私の読書感想文が、教師に認められて
コンクールに出すからってことで、清書を命じられたことがありました。
同じ感想文を2回書かされたわけで、不愉快極まりない話。真面目に
書いた方が、何だか損した気分になっているわけで、自分の経験から
も、あまり宿題としての読書感想文に教育効果は期待できないって
思っています。

 読書感想文なんて、せいぜい原稿用紙の使い方と、漢字の学習を
学ぶためのもの。だったら、わざわざ「本を読む」って行為を強制しなく
ても、書き取りの練習や、日記をつけさせるぐらいでOKだと思います。

 だいたい「読書」なんて、その行為自体を楽しむもの。なのに、宿題で
読書感想文があるってなれば、「読書」は宿題をするための前段階。
そのあとの「感想文」を書く作業が気になって、楽しむどころじゃないで
しょう。

 読書は夏休みの自由課題として、感想文なんか書かせなくてもいいと
思うのですが、どうも日本の教育現場から、この無意味な宿題が消えて
なくなることはないようです。
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経済的な趣味

 つくづく思うこと。
 読書って、経済的な趣味だな~って思います。新刊で買うと、本って
けっこう値段がしますが、それでもよく考えてみたらせいぜい数千円。
千円台で買える本も多いですし、文庫本だったら数百円ってのもあり
ます。古本屋だったら、100円、200円の均一コーナーがあったりも
しますね。

 しかも、その本を読むのに何時間も、あるいは読むのが遅い人だった
ら何日も楽しめるのです。随分、お得じゃないでしょうか? 

 一時期、市場規模が20兆円とも30兆円とも言われたパチンコ。老若
男女に愛される娯楽ですが、決してリーズナブルなものではありません。
ハマリ台に座ってしまい、1万円札が怒涛の勢いで消えていったって経験
をお持ちの方も多いはず。

 私もそんな経験あります(笑) それだけのお金があれば、買おうかどうか
悩んでいたプレミア本を買っておけばよかったって後悔しても、時すでに遅し。
30兆円産業を支えているのは、間違いなく負けているお客さんなんですから、
パチンコを楽しもうと思えば、それだけお金がかかるということですね。

 パチンコの楽しさは否定しませんが、決して、庶民の娯楽なんかじゃない
ですよ。ある程度経済的に恵まれていないと、パチンコは「楽しみ」でなく、
「苦しみ」に変わります。そして不思議なことに、経済的に豊かな人間は、
パチンコで稼げる金額にあまり魅力を感じないので、さほどパチンコを
面白いって感じないって矛盾があります。

 それはともかく、パチンコで1万円なんて、ほんの半時間ほどで溶けてしまう
こともありますが、1万円分の本を読むとなったら、けっこう日数かかると思い
ますよ。楽しめる時間・1時間当たりのコストって概念を取り入れたら、読書は
間違いなく経済的な趣味です。パチンコに限らず、映画や旅行など、他の趣味と
比較しても経済的な部類に入るっていえそうです。

 もっとも、本を読むことそのものが苦痛になっていて、全然楽しめないって
のでしたら、コストパフォーマンスの話は無関係。余暇を過ごすのに、無理に
読書をするってこともないでしょう。

 ただ、読書が経済的な趣味だということは、誰もが平等に楽しむ権利がある
ということ。ゴルフや海外旅行をしたいけど経済的事情でそれが無理って場合
でも、読書をすることは可能です。定評ある名著なのに文庫で安く売り出されて
いるものもありますし、どうしてもお金が無かったら、図書館に通うって方法も
あります。

 限りある人生。限りあるお金。経済的な趣味として、「読書」を見直してみても
いいんじゃないでしょうか?

漫画の読み方

 今でこそ、皆、ごく普通に漫画を読みます。しかし、
戦前生まれの人の中には、漫画の読み方を知らない
人も少なくないはず。漫画を読むという文化をあまり
知らずに育ったからです。

 既に他界しましたが、私の祖母も漫画の読めない人で
した。明治生まれで、たいして学校教育を受けていない
人でしたが、本は好きな人でした。それでも、祖母は
漫画が読めませんでした。読み方が分からないという
のです。

 話を聞いてみると、その原因は「コマ割り」にあるよう
でした。漫画は1ページをいくつかの「コマ」と呼ばれる
画面に分割して、それぞれのコマの中に絵とセリフを書き
込んで、物語を進めていきます。このコマの分割の仕方が
コマ割り。

 普通、日本語の文章は縦書きされ、上から下へ文字を
読み進めます。そして1行が読み終えたら、次の行を読む
という具合に読んでいきます。読み終えた行を変えていく
順は、右から左へ。要するに、日本語では上から下、右から
左へ読んでいくというのが通常なのです。

 横書きの場合には、この読む方向が逆になりますが、
漫画はセリフを読んでも分かる通り縦書き。上から下へ、
右から左へ読んでいくものです。

 でも、コマ割りは、このような目の動きと異なるものを
要求します。一番右上のコマを読んだら、次はその下の
コマを読むのではなく、すぐ左のコマを読むのです。

 慣れたらどうってことない読み方ですが、活字の本だけに
親しんでいる人は、確かに混乱するかも。読もうと思っても
コマがゴチャゴャして、どこから読んでいいか分からない
……そんなふうに悩んでいた人もいたのです。

 古いマンガ……戦後すぐぐらいに出版されたものを見ると、
なんと読み進めるコマの順序を1、2、3……という感じで、
数字で指示しているものがあります。今ほど漫画が広く
読まれていなかった時代には、子供たちですら、その読み方に
戸惑っていたという証拠かもしれませんね。

あらすじの注意点

 私は、本のあらすじを読みません。話の予想がついてしまった
ら、面白くないというのが主な理由ですが、他にも理由はあります。

 それは、あらすじを読んでもどんな物語かわからない場合がある
ということ。あらすじを書くのは作者じゃありません。本の編集者
が、読者の購買意欲をそそるために書くわけです。売らなきゃいけ
ないから、とりあえず書くけど、文章が難しくて話がよく分からな
かったって場合もあるはずなんです。

 たとえば、夢野久作「ドグラ・マグラ」の文庫本(角川文庫)。
裏表紙には、このような記載があります。

 「ドグラ・マグラ」は、昭和10年1500枚の書き下ろし作品と
して出版され、読書界の大きな話題を呼んだが、常人の頭では
考えられぬ、余りに奇抜な内容のため、毀誉褒貶が相半ばし、
今日に至るも変わらない。
 <これを書くために生きてきた>と著者みずから語り、10余年
の歳月をかけた推敲によって完成された内容は、著者の思想、
知識を集大成する。これを読む者は一度は精神に異常をきたすと
伝えられる、一大奇書。


 www
 どうです、どんな内容だかサッパリ意味不明でしょう(笑)
それもそのはず。この本、本当に意味不明なのです。小説です
から、ストーリーはあるのですが、でも本当のところ、そういう
読み方でいいの? って読者が混乱する書き方がされている本
なのです。

 というわけで、文庫本の裏カバーには「あらすじ」でなく、
作品の概略的説明しか加えられなかったんだと思います。
確かに不思議な本ですが、読んだからといって精神に異常を
きたすはずもなく、この部分はいわば誇大広告。これを真に
受けて、読む、読まないの判断はできないですね。

 もう一つ、例を紹介。講談社文庫から出ている村上春樹
「スプートニクの恋人」の裏表紙より。

 22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な
平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。それは
行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片端から空に巻き
上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした。
―そんなとても奇妙な、この世のものとは思えないラブ・
ストーリー!!


 この「あらすじ」……何のことはない、この作品の冒頭を
そのまま書き写しただけのものです。「そんなとても奇妙な、
この世のものとは思えない」って部分は、誇張。よくよく
考えてみれば大して中身のない情報だと分かります。結局、
このあらすじ部分で伝えている情報は、この作品がラブ・
ストーリーだということだけ。

 う~ん、でもね~。この作品、ラブ・ストーリーなのかな?
感じ方はそれぞれなので、そういうふうに受け取った人も
いていいと思います。でも、世間一般でイメージされるラブ・
ストーリーとは随分趣が異なります。本文を読む前に、この
あらすじを読んでしまったら、一種の固定観念を持ったまま
作品を読み進めることになってしまいそうですね。

 ……とすれば、やっぱりその本に対する評価は自己責任。
自分が読んで面白い、つまらないを決めるしかない気が
します。

 あまり気にも留めないかもしれませんが、作品のあらすじを
読む際には、あまり参考にしすぎないよう気を付けてみてください。

あらすじは読む? 読まない?

 本の読み方は人それぞれ。自由に読んでいけばいいと
思いますが、時には、他の人がどういう風に読んでいる
のか、知ることも面白いものです。

 小説の文庫本を読むときのこと。私は、普通に前から
読んでいきますが、母の読み方は違いました。裏表紙の
あらすじ部分にまず目を通すというのです。そこを読んで
面白そうなら、本文を読む。つまらなさそうなら読まない。
そういう選別の基準としているとのことでした。

 世の中の本の数は膨大で、読める時間も、購入するお金も
有限なのですから、どこかで見切りが必要。そういうわけで、
面白くなさそうなら読まないという決断をするのも大事な
ことですね。

 でも、私はあまりこのような読み方は好きではありません。
裏表紙の部分は読まないことも多いです。実際に読み進め
つまらなければ読むのをやめるってことはあっても、あらすじ
だけで判断することはないですね。
 だって、物語の展開がある程度分かってしまったら、面白さ
半減って気がしますから。

 まぁ本の読み方はそれぞれ。ドップリと物語の世界に浸り
たいなら、あらすじなんか読まない方がいいでしょうし、
つまらない本を読んで時間を無駄にしたくないって思えば、
あらすじである程度判断するってのもアリだと思います。

 皆さんも、色々試してみてください。