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難しい俳句の世界

 昨日に引き続き、今日も俳句の話題。

 芭蕉の門下であった向井去来の著作に、「去来抄」というのがあります。芭蕉の
俳論・講評などをまとめた本です。その中で、宝井其角の作品を、芭蕉が酷評した
ってくだりがあります。そのボロクソに言われた作品がこれ。

 此木戸や錠のさされて冬の月

 「猿蓑」を編集しているときに、其角がこの句を芭蕉に送り、下の句を冬の月と
しようか、霜の月としようか悩んでいますと相談します。ところが、芭蕉はこの句を
読み間違えてしまいます。「此木戸(このきど)」を「柴戸(しばのと)」と読んだの
です。だから、

 冬・霜に煩ふべき句にもあらず

 って冷たく言い放ちます。そんなに悩むほど、たいそうな句じゃないだろって
わけです。
 これだけで終われば、芭蕉のおっちょこちょいぶりが後世に伝わるだけのことです
が、芭蕉の立派なのはここから。自らの読み間違いに気づいて、手紙をよこします。

 柴の戸にあらず、此木戸なり。かかる秀逸は一句もたいせつなれば、たとへ
出板に及ぶとも急ぎ改むべし


 このような秀作は、一句たりとも疎かにできず、たとえ印刷作業にかかっていても
急いで訂正しろ、ってことです。人間誰しも間違いは犯すもの。でも、歴史に名を
残す人物というのは、自らの過ちを速やかに訂正する度量も持っているものなの
ですね。

 しかし、芭蕉の手紙を読んだ野沢凡兆は疑問に思います。

 柴の戸、此木戸、させる勝劣なし

 ・・・柴の戸でも、此木戸でも、たいして違いはないだろって言うのです。これに
対する、向井去来の返答はこうでした。

 この月を柴の戸に寄せてみれば、尋常のけしきなり。これを城門にうつして
みはべれば、その風情あはれにものすごく、言ふばかりなし。角が、冬・霜に
煩ひけるも理なり


 「柴の戸」と読めば、ありきたりの風景。でも、城門を閉ざす「此木戸」って
読めば、その風情は壮絶で言葉で言い表せない。「冬の月」にしようか、
「霜の月」にしようかと悩むのももっともな句だ・・・というのです。

 う~ん、どうですか?

 正直、私は、凡兆の意見の方に共感を覚えるのですがwww わずかの文字の
違いで、全然作品の趣が変わる・・・俳句って難しいですね、って話でした(笑)
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