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月を見てて思うこと

 読書に疲れ、ちょっと息抜きにコンビニへ買い物に。冬の冷たい空気は、
長時間室内で過ごした後のリフレッシュには最適だ。

 ふと見上げると、空には月が。うっすらと雲がかかっているが、綺麗なモノ。
この月を見られただけで、寒い思いをしてまで外に出た甲斐はあるという
ものだろう。

 そういえば、月についていつも不思議に思っていることがある。月は、毎日
姿を変える。今日見る月と、明日見る月とでは、その形が異なるわけだ。
なのに何故、大昔の人は、どれもこれも「同じ月」ということに気付いたのだろう。
違った形で見えるのだから、別物って考えてもおかしくはないと思うのだが。

 よほど観察力のある人ならば、昨日の月も、今日の月も、その表面の模様は
同じだと気付いて、実は月というのは、毎日姿が変わるけれど同じ天体なんだ
と気付いたかもしれない。しかし、ならば太陽はどうだろう。あんなもの観察
しても、眩しいだけだ。肉眼では、模様なんか分かりゃしない。

 太陽(sun)も月(moon)も、英語では定冠詞の「the」がつく。この世でただ一つ。
「あの太陽」「この太陽」なんて区別はないのだから、学校で習う英文法の法則は
まったくもって正しいものだ。しかし問題は、どうしてそれが「同じもの」だと
気付いたのか、ということだ。

 この点、地球(earth)に定冠詞がついて「the earth」となるのは、納得がいく。
我々は常に地球とあり、目の前から地球が消えてなくなることはないのだから、
世界にただ一つのものと言われてもそれは自然なことのように思えるからだ。
しかし、太陽も月もそうじゃない。東から昇って西に沈み、我々の目から見えなく
なるじゃないか。にもかかわらず、どうやって昨日の太陽と今日の太陽が同じ
ものだと気付いたのだろう。

 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。昨日川を流れた水が、
夜、皆が寝静まっているうちに逆流して、朝になったらまた流れ出すなんて
考える人はいない。昨日の水と、今日の水は別物と考えるのが普通だ。

 だったら、太陽や月も、昨日のものと今日のものは別物と考えるのが自然な
発想だと思うのだが。ひょっとして大昔の人間は、昨日も一昨日も太陽が
昇ったということを忘れるほど、アホだったのだろうか。

 ま、どうでもいいんだけどね。夜遅くまで起きていると、人間の思考回路って
どうも変な方向に回るみたいだ。変なことを考えたついでに、幼い頃の月に
まつわる体験談を書いておきたい。

 小学生の頃、理科の宿題で、毎日の月の形を観察しましょう、というのが
あった。月が毎日どのように姿を変えるか、それを観察しようということ。
不思議に思った私は、先生に質問した。

 観察途中で月が姿を変えたら、どうしたらいいんですか?

 そんなことはあり得ないと笑われてしまった。そりゃ、月食というのはある。
でも、そんな例外を考えなければ、確かに、同じ日に月がその姿を変える
ということはないようだ。そんな当たり前のことも、小学生の私は知らなかった。

 そして、当時の私が抱いた疑問は、次のようなものだった。

 だったら、月はいつ姿を変えるんだ?

 月が東の空から昇り、西に沈むまで、我々の前ではその姿を変えない。でも、
翌日東から昇った時には、少しその姿を変える。だったら、月が西に沈んで
から翌日昇るまでの間に、姿を変える場面があるはずだ。ということは、
地球の裏側では、月が姿を変えるその瞬間を目撃できるのか? 何だか、
そっちの方が奇妙に思える。

 実は、恥ずかしながら、大人になった今でも、このことについてはよく理解
できていない。太陽と、地球と、月の位置関係で、毎日見える月の姿は
変わっていく。そのこと自体は、何となく分かる。でも、月が姿をいつ変える
のかってことは、よく分かっていない。どこかある瞬間でパッと姿を変える
って発想は、どうも不自然に思える。ひょっとして東から昇り、西へ沈む
その間にも、人間の目で気づかない程度に、月は刻々と姿を変えているの
だろうか?

 そんなことも知らないのかと笑われれば、恥ずかしい限りだが、でも
どうなんだろ? 意外と、そんなことを知らない大人って多いんじゃなか
ろうか。

 自分でも、随分馬鹿げたことを考えているんだろうなとは思うけど、案外、
人間の発想なんて、馬鹿げたものが多いんじゃないかとも思う。科学者の
中には、

 もし世界中の誰も夜空を見上げることがなかったら、
月は存在しない


 なんてことを考える人がいるという。しかも、それがあながち間違っていない
というから、もう何がなんやら。

 20世紀物理学の二大柱と言えば、相対性理論と量子力学。このうち、ミクロの
世界の法則を記述するのが量子力学。原子や素粒子といったミクロの世界は、
実に不思議で、我々の一般常識が通用しないことも多々あるとのこと。中でも
奇妙なのが、観測が事実に影響を与えるということ。

 普通、観測というのは、事実をありのままに見ることと受け取られる。でも、
ミクロの世界ではそうじゃない。どのように見るかで、事実が変わってくる
という。「事実が変わる」ってのは、少し語弊があるのかも知れないけど、
少なくとも観測者にとっては、観測して初めて事実が決定できるということ。

 アッチを立てればコッチが立たずってのはよくある話で、たとえば電子の
ようなミクロの存在を観測しようとしたとき、その位置と、運動量を同時に
観測することはできないとされている。位置を正確に求めようとすれば、
その結果、対象物である電子の運動量に影響を与えざるを得ず、正確に
求められなくなる。逆に、運動量を正確に求めようとすれば、位置が正確に
求められなくなる。観測技術の限界とかそういう問題ではなく、「観測」
というものの原理から来る制約……量子力学では、そう考えるみたい。

 で、常識的発想なら、事実をいかに観測するかって考えるはずなんだけど、
量子力学ではその逆。観測できなきゃ、そんな事実はないのと同じって
考える。要するに、観測に合わせて事実を考える。観測が、事実を決定する。

 何か、変なの~。科学って客観的なものかと思っていたら、「観測」って
いう主観的行為で、世界のありようが変わっちゃうっていうんだから、もう
ここまで来たら哲学や宗教の世界のような気もする。でも、よくよく考えて
みたら、あばたもえくぼ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってのも、よくある
話で、主観によって世界は変わってくるってのも、案外普通の考えなの
かも。

 ……ここまで、考えていたら、頭の中がムズムズしてきた。いかんいかん、
夜遅くまで起きていると、世界は不思議なものになってしまう。そろそろ
寝ようっと。お休みなさいzzz


 
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