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溝口敦「溶けていく暴力団」

 お薦め本、紹介。

 溝口敦「溶けていく暴力団」(講談社+α新書)

 筆者は、暴力団問題などに詳しいジャーナリスト。この本でも裏社会の現状を
鋭く告発しています。暴力団新法の施行で既存の暴力団の勢力が削がれる一方、
半グレなどの集団が台頭したといいます。ただ、その半グレも暴力集団としては
活動しにくくなってきて、今後はもっと闇深く潜り込んで活動するって分析を
しています。

 暴力団にしろ、半グレにしろ、別世界の話なので、筆者の見解が正しいのか
どうか皆目見当が付きませんが、暴力団が活動領域を狭めていくってのは
間違いなさそうですね。暴力団との交際が報じられて引退した芸能人もいました
し、この問題に関して世間の風当たりは強いようです。

 でも、どうなんでしょう? 確かに、暴力行為はいけませんし、そのような
組織に入ることを褒めるなんてできませんが、あまりにも過剰な反応をする
のは、どうかと思います。

 元組員が就労できない、生活保護も受給できないとなったら、自分と同じ
ような立場の人間と組んで犯罪に手を染めがちになる。・・・

 犯罪に活路を見出せない者は刑務所をセーフティネットにすることを
考える。元組員はたいてい前科があるし、過去に執行猶予つきの判決を
もらっている可能性がある。そのため無銭飲食のような微罪でも、有罪を
宣せられ、二~三年服役する事態があり得る。そこを狙って微罪を犯し、
二~三年刑務所の中で緊急避難しようという考えが案外、現実性を持って
いるのだ。・・・

 服役者一人にかかる年間費用は80万円、職員の人件費や施設費を含める
と、250~300万円になるといわれている。生活保護の支給額は高齢者
単身でアパートや貸家暮らしの場合、月に約10万円、年間120万円程度
だから、元組員に生活保護を支給するより、服役させる方が高くつく。
(「溶けていく暴力団」より)


 ……どう、思います? 暴力団を抜け出そうと思っても、職に就けず、
生活保護も貰えず、しかも自分で商売をしても、警察の監視の目が光るって
のでしたら、どうしようもない。日本という社会は、異質な存在を許さない
空気を持っていますが、ヤクザにも三分の理。権力側の過剰反応は、度を
越していると思います。

 古本屋なんて、そんなに暴力団のお世話になるほど、ややこしい客が
来るわけでもないですし、それほど儲かる商売でもない。だからまぁ、
暴力団との接点なんて普通はないままでしょうけど、それでも、この本で
指摘されているように、一般企業の中に紛れ込んで活動するようになって
いたら、ひょんなことがキッカケでお客さんになるかも知れません。

 私はヤクザです。お宅の店の本でいいのがあるので売ってください。

 って律儀に警告して近づいてくるヤクザ者なんて、いようはずがないのです
から、店の立場としては、誰が堅気で誰が極道かなんて分かるはずがあり
ません。

 でも、一つ言えること。当店は、暴力団だからといって差別的扱いはいたし
ません。きちんとお代を支払っていただけるなら、本をお売りします。暴力
団だからといって、代金をまけることもしないかわりに、キチンと支払って
いるのに本を売らないなんてこともしません。法律や、警察がどうのこうの
言おうが、この点は変えるつもりはありません。

 お客さんを差別しない。

 そんなことは商売人の守るべき、最低限のルールだからです。代金の支払いを
しても利用を拒むゴルフ場や、口座の開設を拒否する銀行の方が、職業倫理に
もとるものだと思います。

 法の下の平等は対象が暴力団であるかぎり完全に無視されている。日本国民で
日本に居住していても、日本国憲法の対象外なのだ。暴力団は司法や行政ばかり
か、国会やマスメディアからも差別されている。
(同書あとがきより)


 異質なものを差別する気持ち。これは、人間の本能なので仕方ありません。
でも、完全に社会から居場所をなくしてしまえば、いったいどこへ行けと
いうのでしょう?

 私には暴力団の知人も友人もいません。積極的に付き合おうとも思いません。
しかし、たまたまどこかで知り合った人、仲良くなった人が暴力団員だったって
いう場合。それだけでは、あえて付き合いをやめようとも思いません。

 そういう交際を全て「黒い交際」と断ずるマスコミ報道もやはり偏向的ですし、
だいたい人間関係なんて付き合ってみないと、いい人か悪い人か分からない
ってのが、フツーじゃないですか? 世間の尺度で人間関係を決められるっ
てのは、どうも好きになれません。

 自分は堅気だ。反社会的勢力に与する気はない! って人も、この本はぜひ
ご一読をお勧めします。まぁ、取り締まる側も、取り締まられる側も、無茶苦茶
な話だなって思いました。

栗本慎一郎「パンツをはいたサル」

 お薦め本、紹介。

 栗本慎一郎「パンツをはいたサル」

 随分大昔の本ですが、ベストセラーになった本なので、ご存じの方も多い
はず。著者は栗本慎一郎。本職は経済学の学者ですが、政治にテレビに活躍
された人なので、マルチな才能の持ち主って言えるでしょうね。

 学者の書く本ってのは、堅苦しく退屈なのが多いもの。でも、この本は
読みやすいですよ。ユーモラスな口調で、だけど時に痛切な批判も交えて
「人間」という生物を考察しています。

 人間は、「裸のサル」であるというデズモンド・モリスの所説は、部分的
にはたいへんおもしろいが、人間における根本的な問題たるエロティシズムの
存在や、道徳の堅持とその侵犯というおかしげな「行動」については、ふれる
こともできなかった。それに、人間はサルが裸になっただけでなく、パンツを
はいて、それを脱いだり、脱ぐ素振りでオスを誘ったり、おかしげな行動を
システマティックにとっているではないか。

 私流に言わせてもらえれば、これらの行動は、人間にとって根本的な特徴
であり、その他の生物からよく似た行動をさがして、対比してみせてくれる
生物学者の説明は、いずれももうひとつ説得性がなく思えた。そこで私は、
これらの「行動」が制度化されたものを、シンボリックに「パンツ」と表現
し、人間はサルが裸になったものではなく、サルがパンツをはいたものだと
して説明することにした。そうしたら、法律や経済だけでなく、人間の人間
たる所以の理性的だったり、馬鹿げていたりする、あらゆる行動がきちんと
説明できたのである。
(「パンツをはいたサル」まえがきより)


 要するに、「行動」が制度化されたものをパンツって表現しているって
わけですが、本書では、法律、お金、道徳、性などのパンツについて詳しく
解説しています。

 法学部出身の私としては、法制度の関する記述については、ナンセンスに
思えるツッコミどころ満載の表現も見受けられましたが、まぁ全体的には
面白かったです。なかなか考えさせられる鋭い指摘もあります。

 ヒトの愚劣な行為、戦争は、動物と同じ攻撃性に基づいているとともに、
ヒトの「叡知」そのものによって拡大され、残虐度を加えていくのである。
洞察的行動があるから、「あいつらはこんな兵器を作っているのではないか。
それに備えるには、この兵器を作らなくては……」ということになり、
核廃絶、デタント推進はかけ声だけになって、果てしなく軍備はエスカレート
していくのだ。なにが「万物の霊長」だ。

 筆者はこういって、人間の知性を認めつつも、でも本当に賢いっていえる
のかって懐疑的な目を向けています。

 大量破壊兵器があるからって言って、おっ始めたイラク戦争。でも結局は
何もありませんでした。数十年前のこの本の記述は、今でもズバリ的中して
いますね。

 我が日本だって同じ。尖閣などの離島防衛が危ないかもってことで、国有化
したり、警備を強化したり。未来のことを考えるって人間の知性があるために、
周辺諸国との緊張を招いたりもしています。

 戦争はいけない。平和が大事だ。そんなことを言葉でいうのは簡単ですが、
そもそも戦争をしている人間の本性というものをしっかり理解しておかないと、
言葉に説得力は生まれません。

 そんな意味も込めて、ぜひ薦めたい本です。ベストセラーになっていますの
で、そんなに古書価も高くなく、比較的入手しやすいです。興味ある方は、ご
一読を。

松本謙治「古書の見方・買い方」

 先日、業者市でまとめ買いした本の中に、こんなのがありました。

 松本謙治「古書の見方・買い方」(東洋経済新報社)

 「古書」に関しての本なのに、「読み方」じゃなく「見方・買い方」とされて
いるのには、ワケがあります。この本、古書を買って儲けましょうって本
なのです。株や不動産を買うのと同じように、投資対象として古書を選び
ましょうって本。

 はしがきには、次のような記述があります。

 ・・・古書の値上がりは戦後一貫して続いており、ことにここ数年間の
それはすさまじい。しかも、こうした傾向はこれからもまだまだ続くとみる
のが妥当のようだ。わずかの資金で確実に利殖がはかれる古書投資も
財産づくりの一環として考えられるわけである。


 この本は、昭和49年の本。高度経済成長は終わっていますが、前年に
始まったオイルショックの影響で物価が狂乱的に上昇していた時期のもの
です。
 当時は紙資源が不足し、雑誌や新聞などのページ数が削減されたといい
ます。古書は紙の塊なわけですから、そりゃそんな時代だったら、最悪、
「資源」としての価値は見込めるってことで、価格も上昇するでしょうね。

 要するに、この本で書かれているように古書が投資対象になりえたのは、
特殊な事情があったから。今の時代には、まず通用しない理論でしょうね。
一般の投資家向け情報では、金相場や株価は頻繁に紹介されています。
でも、新聞の経済欄を読んでも、「本日の古書相場」なんてもの、載っては
いません。古書を投資の対象にしようってのは、今となっては、さすがに
ナンセンスです。

 この本では、やれ詩集はいいだの、川端康成の初版本がどうだのって
熱心に語っていますが、ほとんど見当違い。確かに、詩集や初版本に
高額な値段のつくものはありますが、そもそもそれを欲しがる人が少ない
のが現状。売るのに苦労するわけです。売れなきゃ、高額な古書価も
絵に描いた餅。ってことで、投資に成功するかどうかは、はなはだ怪しい
ハナシ。

 かつて、これらの本が投資材料となったのは、本当にその本を欲しがる
ファンの人以外に、これで一山当てようという投機目的の購入者も少な
からずいたから。要するに、「売り出せば、誰かが買ってくれるだろう」って
甘い期待が大前提の儲け話。バブル経済と同じ構造です。

 でも、バブルはいつかはじけるもの。古書価が右肩上がりに上がり続ける
ってことはありえなく、投資家が市場から去った時にバブルは終わります。
 今は、既に古書市場に、投資家はほとんどいません。せどりをしている
人はいますが、それも短期決戦のビジネス。高い本を買って、じっくり保有し、
値上がりしたところで売りに出す・・・なんて、呑気なことを考えている人は、
ほとんどいないでしょう。

 投資家が去って冷え切った市場なわけですから、古書価も高騰しようはず
がありません。でも、考えてみれば、これが本来の健全な市場の姿。本当に
その本が欲しい人に、適正な価格で届けられるようになったわけですから、
古本屋としては、値段が下がったと嘆くよりも、いいお客さんに巡り合える
チャンスが増えたって喜ぶべきでしょうね。

 「古書の見方・買い方」……古書で儲けようって人には、もはや何の参考にも
ならない本ですが、そんな時代もあったんだって古書業界の知られざる姿を
知りたい人にとっては、なかなか楽しめる本かも。絶版になっていますが
珍しい本ではありませんし、ネットで安く購入できます。興味ある方は、ぜひ
ご一読を。

島田紳助/松本人志「哲学」

 最近、買取った本の中に、こんな本がありました。

 島田紳助/松本人志「哲学」

 一時は、流行していた本ですね。でも、正直なところ、今ではあまり古書店
では見向きもされない部類の本でしょう。仕入れた私も、すぐさま業者市に
持込もうかって思っていたのですが、ふと思い立って、改めて読んでみました。
 10年以上昔の本ですが、重版を重ね、文庫化もされていますので、比較的
入手しやすい本です。古書価もそれほど高くはありません。

 著者の二人は、お笑い界のビッグネーム。紳助さんの方は、暴力団との交際が
報じられたのがキッカケになって芸能界を引退しましたが、それでも一つの分野を
極めた方の言葉というのは、含蓄があるものです。お笑い界を目指す人はもちろん、
起業しようとか、新しいビジネスを始めたいって考えている人にも、恐らく考える
ヒントとなることがたくさん含まれた内容だと思います。

 私の印象に残った部分。松本さんの記述の部分です。

 芸人は、負けん気が強いわけじゃない。
 むしろその逆で、ものすごい恐がりなのだ。
 てっぺんにいないと不安でたまらないから、自分の山を作って、その頂上に立って
守ろうとする。これは芸人の習性みたいなものだ。そうしないと、その山を、他の
ものにどんどん浸食されてしまうから。
 そりゃ山の大小はある。高い山も低い山もある、しかし、山の上にいようとすることは
誰でも同じなのだ。
 だから、芸人は絶対に、それぞれ違う山の頂上にいる者同士としてしか喋り合わない。
 自分の山から降りて、人の山に登るなんてことは絶対にしないし、反対に誰かを自分の
山に登らせようともしない。
 そういうことがわかっている人、別な言葉でいえば山が見えて、ちゃんと自分の山を
見つけられた人が、芸人として残っていくのだと僕は思っている。
 自分の山が見つけられなければ、一時はみんなにおもしろがられて脚光を浴びることは
あっても、いつかは消えていくものなのだ。


 ナンバーワンじゃなくていい、オンリーワンの方がいい・・・なんて、一時盛んに言われ
ましたが、この考えは、オンリーワンかつナンバーワンって発想ですね。自分だけの
山を登って、そこでは自分が一番高みにいるわけですから。

 面白いなと思ったのは、この考え方は古本屋にも当てはまると思うこと。お笑い界と
古書業界って、全くビジネスモデルは違う世界ですが、それでも、この言葉は真理。
世の中に数多ある古本屋の中で、その店だけの「売り」・・・そういったものを持たないと、
その他大勢の古本屋の中に埋没してしまって、生き残ることは困難です。

 松本さんは、またこうも語っておられます。

 では、僕はいつ頃、自分らの山を見つけたのか。
 これは正直にいうが、僕の場合はこの世界に入った初日から見つけていた。
 自分は山の上に立っていると、そう思っていた。
「お前ら、早く俺らが山の上に立っていることに気づけよ」
 それが実感なのだ。
 だからこの世界に入った僕が必死で取り組んだ課題は、山を見つけて、もしくは
作って、その山に登ることではなくて、僕らが山の上に立っているということを
みんなに知らせることだった。


 実は、この点について、私は松本さんと全く同感想を持っています。もともと、
片手間の副業として「せどり」をやっていた私が、本格的に古書店をやりたいと
思ったのは、大手新古書店の台頭を許している今の古書業界では、新参者の
私でも、大いに存在価値を発揮する余地があると直感したからです。松本さんの
言葉を借りれば、私は古書業界の中で既に「自分の山」を見つけ、その頂上に
いるって自負はあります。

 こう断言すると、先輩方からはひんしゅくを買いそうですが、でも、古本屋は皆、
一国一城の主。天上天下唯我独尊。各自が、己の道を歩むのがあるべき姿だと
思うのです。先輩方には先輩方の、私には私の店のやり方があるんです。
どちらが正しいってもんでもないでしょうし、どちらかに統一すべきものでもあり
ません。それぞれが、自分なりに試行錯誤して、辿りついた姿なんです。

 では、私の「自分の山」とは、何か。それは単純なもの。

 いい本を売る。

 これに尽きます。古本屋として、これ以上の責務はあろうはずがありません。
恐らく、どこの古本屋も、この点は同じことを考えているはず。ただ、「いい本」の
捉え方が、どうも私は他の人たちとズレている気がするのです。この「ズレ」こそ、
私の個性。他の人が決して真似できない部分ですし、自分はそういうふうに本を
受け止めているんですから、この個性の部分を外して、世間一般の常識に合わせて
商売する気もサラサラありません。

 ただ難しいのは、いくら自分が山のてっぺんにいるからといって、それだけで
無条件に認めてくれるほど世間は甘くないってことです。松本さんもおっしゃって
いるように、それを知らせる作業が必要。それを必死にやって、ようやく受け入れて
もらえるかってことなんでしょう。

 この点では、私はまだまだ松本さんの足元にも及びません。ブログなどを通じて
世間にアピールしようとはしていますが、まだまだ宣伝不足。世間が知らなければ、
「無い」に等しいわけですから、いい本を売りたいって願いも、絵に描いた餅です。
 今後は、この点を自覚して、精一杯、自分なりに世間にアピールしていきたいって
思っています。

青山二郎「骨董鑑定眼」

 何年か前、京都のお宅へ買取にうかがったときのこと。大量に処分された
蔵書の中に、この本がありました。

 青山二郎「骨董鑑定眼」(ランティエ叢書)

 コンパクトなサイズの本ですが、ハードカバーの装丁で、帯もついています。
しかも、その帯のデザインがユーモラスで興味を引くものになっています。

 惜しむらくは、本の状態が悪いこと。書き込みやヤケはありませんが、あまりに
汚れがひどいので、商品として売り出すには難のある本でした。とはいえ、
読むには問題なし。というわけで、この本は仕入れたのち、私の蔵書の一冊と
なりました。

 著者は、青山二郎。美術品の目利きで、天才的な才能を発揮した方です。
この本では、筆者の鑑定に関するエピソードを紹介してはいますが、あくまで
一般向け。抽象的に感じる部分もありますが、さほど技術的に細かい部分を
解説しているわけではありませんので、「ふ~ん、そういうものか」って感じで、
骨董の初心者でも楽しめるはずです。

 語り口調も独特でいいですね。ピカソや魯山人といったビッグネームにも、
ズバリと厳しい指摘をしています。歯に衣着せぬ口調は、すがすかしくも
あります。
 ただ、そういったビッグネームを単に非難するだけでなく、その才能、業績に
対する評価は、それはそれでキッチリされています。要するに、芸術家個人の
批評と、作品の批評をキッチリ峻別されていて、それは極力先入観を排除して
作品そのものと向き合ったってことなんでしょうね。

 この本に収録されている語録から、いくつか紹介。

 一般に古いほど良く、美しさが増すということは事実で、誰が見てもそれに
違いないのだが、それだからと言って新しいものへの要求も一方では盛ん
なのは、考えて見る興味がある。美術品と芸術との明瞭な違い方を注意
すべきである。

 本の世界でも同じことが言えそうです。古書の値段は、古いものほど高く
なる傾向があります。しかし一方で、新しい本、流行の本も高値で取引される
ってことがあります。
 もっとも、本の場合は「古い」とはいっても、その本そのものが昔に印刷
されたって場合だけを指すわけではありません。何度も再版されている
本。古典と言われる本。こういうのも「古い」部類には入るでしょうね。

 しかし、「古い」からといって悪いわけではありません。いい本というのは、
世代を超えて伝わっていくものですし、時には世界中で読まれるってことも
あります。
 美術品と芸術の違いっていうのは私にはわかりませんが、本の場合、
単に売れるってだけの本と、人類の文化遺産として後世に語り継ぐべき
本ってのは明瞭な差があります。商売ですから「売れる本」を扱うのは
大事。でも本当は、人類の文化を発展させる名著を扱ってこそ古本屋の
社会的責務は果たされるって思っています。

 骨董の最も厭(いや)らしいことは
 直(す)ぐに値ぶみすることだ


 これは多くの古本屋にとっても、耳が痛い言葉のはず。ある本を見たとき、
「いくらで買取るか?」「いくらで売っているか?」って、ついつい考えて
しまうのは職業病(笑) でも、本の価値ってのは取引価格とは無関係
ですよね? プロの古本屋ならば、世間の評価や取引相場とは無関係に、
いい本はいい! って胸を張ってお客様に勧められるようになりたいものです。

 「骨董鑑定眼」・・・おそらく今は絶版になっていると思いますが、それほど
珍しい本でもないですし、古書価もそんなに高くはありません。興味ある方は、
ネットで探すなどして読んでみてください。
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